【超長文レポート】第36回・TAMAハーフマラソン

再来週の「勝田全国マラソン」に向けた調整レース。裏番組的に翌日「ハイテクハーフマラソン」が開催されたが、人数の多い大会は調整に使いづらいし、トイレやスタートなどで時間が無駄になることが多いので、あえて近場のハーフマラソンを選んだ。


目標は78分。ちなみに自己最高は1時間24分。ココ最近ハーフマラソンには出場しておらず、数年前の記録から全く更新できていなかった。(今年のハーフ勝負レースは、2月の深谷シティハーフ


今回の結果は、1時間21分42秒。

僕の知人にハーフを69分くらいで走り切る「日本最速弁護士」という異名を持つ、某港区男性(本名:森一生)がいるんだが、彼から見ればタイムは凡庸(というかジョギングレベル)だし、「ランニング速いぜクラスタ」からすれば自ら誇るようなタイムではないことは重々承知している。

しかしながら、見事優勝することができた。何事も勝つことが大事。どんな大学でも主席卒業には意味があるのだ。というか、個人優勝は初めてではないか。

速いランナーの皆さん、ハイテクマラソンを選んでくれてありがとう。ハイテクマラソンなら、このタイムだと100位以内にも入れていないだろう。戦略の目的は勝つことであり、その本質は戦いを避けることである。僕は戦略家なのだ。


さて、レースの振り返りをしたいと思う。今回もライバルがいた。今回のライバルは「トニー」だ。


選手名簿を見たときから認識はしていたのだが、この大会は外国人が数名エントリーしている。トニーもその一人だ。ちなみに「トニー」とは面識もないし、そもそも「トニー」かどうかはわからない。ただ僕が勝手にトニーと呼んでいるだけだ。

ハーフの部は151名が出走。二子玉からガス橋までの約5kmを行って帰ってくる往復コース✕2回という単調な(シンプルな)コース。スタートは10時ちょうど。非常に寒い中、僕はスタートから最前列に位置取った。程なくして、よーいスタート。

スタートと同時に、先頭に躍り出るトレイルランナー・渡邊。上の写真を見て頂きたい。圧倒的なロケットスタートだ。完全に「イキって」る。圧倒的なイキりオーラをほとばしらせながら、冷え切ったカラダを温めるように3分43秒-3分45秒くらいのペースで入る。無理はせず、ここまでは予定通りだ。


しかし、そんな余裕は長くは続かなかった。開始早々、スラムダンクは陵南高校の監督「田岡茂一」ばりの誤算があったことに気がつく。


【誤算その1】コースが終始砂利道。いわゆるアスファルトは合計1kmもなかったのではないだろうか。シューズ選択は「ズームフライFK」、ソールはツルッツルのため、砂利との相性は最悪。ズルズルに滑る。さながらズールフライだ。うまくない。

しかしあの名門佐久長聖高校も、不整地で鍛えることにより、腰高のランニングフォームを手に入れるのだと聞いた。そんな雑学を思い起こしながら、なんとか気持ちを立て直す。


【誤算その2】まさかの悪天候。雪またはミゾレがスタート直後降り出し、折り返してからは向かい風がすごかった。平均タイムを見てみると、復路はかなり手間取ってしまってる。これは大誤算だった。

※上記が往路・復路ごとのタイムラップなのだが、平均ペース①③が往路、②④が復路であり、復路が向かい風サンダーマウンテン。それぞれ1kmあたり10秒ほどペースが落ちてしまっている。



そんな外部環境なもんで、ペースが本当に上がらない。上がらない割には心拍が上がってしまう。そんな大変な中、ずっと後ろについてくる足音がある。

(僕の後ろに忍び寄る影が・・・)

トニーだ。

トニーはたぶん同い年くらい。すこし若いくらいか。いずれにせよ30代独身男性だ。

イギリス生まれだが、小さい頃に父親の仕事の関係でアメリカ西海岸に移住。その後サンフランシスコ州立大学に進み、在学中に旅行した日本が大変気に入り、金融機関に就職したのち、自ら志願して2014年から日本勤務に。現在は二子玉川のタワーマンションに住んでいる。たぶんそんなプロフィールだ。たぶん。


そんな伏兵・トニーはスタート直後からずっと僕の真後ろをついてくるのだ。予期せぬところで日米対決が開催である。


しかし、3キロ過ぎくらいだろうか。突如トニーの息が乱れ始めた。


4キロ過ぎ。トニーの息はさらに激しくなる。大丈夫なのか?すこし心配になる。これはブラフなのか?それとも本当に苦しいのか?判断に迷う。


6キロ過ぎて折り返し。トニーとの差は1メートルほど。トニーの表情を伺う。ラスト1kmくらいの東洋・西山くんくらい必死な表情だ。かなりきつそうである。序盤からそんなになりながらも、必死についてくるトニーの心意気に僕は静かに心を打たれていた。


すれ違い際に「お互い頑張ろうぜ」的なことを(英語で言った感じでごにょごにょ)声かけて、腕を上げてガッツポーズ。トニーも目を合わせ、腕を上げて答えてくれた。競争の中に芽生える友情。熱い戦いだ。


そんな青春真っ只中の僕らを、容赦なく雪混じりの強風が襲う。鏑木さんが挑戦したパタゴニアの吹雪区間のような突き刺す風が間断なく攻撃してくる。

僕のペースはガクッと落ちた。トニーはどうか?トニーも苦しそうだ。西海岸の温暖な気候で育ったトニーにとって、アラレ混じりのこの強風はもはや「凍てつく波動」以外の何者でもないだろう。

共通の敵が見つかると人間は一致団結する、というのは歴史が証明してくれている。僕とトニーは「強風」という共通の敵を見つけ、深いところで繋がっていた。


しばらくして、トニーと僕との差はかなり広がっていた。30秒くらいだろうか。すれ違い様、「まだまだ頑張ろうぜ、トニー」「おう、負けないぜ」そんな意味合いを込めて、「ふぁい」みたいな声をかける。そんなハッピーなやり取りがすれ違いのたびに起こる。

言外の意味、って素敵。グローバル・コミュニケーション。


さて、ここからは単独走である。箱根駅伝は1位の利、先頭の利というものがある。先導車が風よけになってくれたり、前を走るランナーがいないから焦らず自分のペースが作りやすかったりするのだろう。

しかし今日に限っては、一位であることに全く利はない。風とアラレを一身に受け止め、「なるほど、これが流行りの低体温症か」と感じるほど体が動かなくなるのだ。本当に辛かった。

(限界が近づいている、著者渡邊)


強まるアラレ、風。反比例する僕のスピード。タイムはもう狙えない。タイムではなく、トニーとの勝負に徹する。僕は後ろを頻繁に振り返るようになり、ペースを冷静にコントロールした。


そして、ゴール。

タイムはあまりにもいまいちだが、優勝。2位、3位は外国人で、なんとか大和魂を見せつけることができた。埼玉県民を舐めるなよ?


そして約1分後、トニーもゴール。お互いのゴールを称え合い、固く握手、そして抱擁を交わした。間違いなく僕らの間には友情が芽生えたのである。

ランニングという趣味は、世界中に友達を作ってくれる。そんなことも感じた瞬間だった。


そして最後に。

後日、リザルトを確認してみると、トニーの本名は「Andy Blakely」でニュージーランド出身だったことは最後に書き記しておきたい。お後がよろしいようで。




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